「夫のちんぽが入らない」を読んだ私

こんにちは。いちりんごです。

 

今回は、こだま 著 「夫のちんぽが入らない」を読んで感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います。多少のネタバレを含むと思うので、それが嫌という方は、この先読むのを控えることをオススメします!

 

 

いつもなら、Twitterでの読了ツイート、読書メーターで読後の感想を書いていますが、どちらも大なり小なり文字制限があるため、今回は制限がない中で語りたい!と思い、ブログにも感想を綴ろうと思います。

 

まず、誰もが思うであろう、「夫のちんぽが入らない」というインパクトのあるタイトル。このタイトルだから、ちょっと買いにくいわぁと以前は思っていましたが、逆にこのタイトルだからこそ興味を持ち、購入。

読む前は、『性行為がないなかでも日々の生活を通して、夫婦の絆が深まっていく』系の感動するお話かな?と思っていました。

しかし、実際はもっと深いところ、夫婦としてだけでなく、1人の人間としていきていく著者、こだまさんの実話が描かれていました。

 

しんどいな。と思う場面もありました。でも、読むのをやめられなかったんです。読めば読むほど、こだまさんに共感していく私がいました。私は、ちんぽが入らないことで悩んだことは無いけれど、パートナーや家族、周りの人に後ろめたいような、申し訳ないような気持ちを持ちながら生きていくのを経験したことがありました。それは、今も私の中にある「うつ病」という病気と、それに付随する症状や考え方です。『こんな私といつも一緒にいてくれて申し訳ない』『仕事も行けなくて私はみんなに迷惑をかけている』この思考がぐるぐる回る。

こだまさんが、高台をいつだって死ぬ事が出来る、いざと言う時の御守りにしていたように、私は通勤途中にいつも通る道のガードレールに気持ちだけは何回突っ込んだか分かりません。少しハンドルを左に切れば楽になれる…そういう思考になっていたあの頃はほんとにメンタルがズタボロだったんでしょう。

小学校教師時代のこだまさんの様子を読んでいると、自分と重なる部分があって、「もう休んでいいんだよ」と何度も声をかけたくなりました。本当は、あの時の私に言ってあげたい言葉だったのかもしれません。

 

 

『性欲』は人間の三大欲求の1つです。それを愛する人と満たすことが出来ないってどれだけ辛いだろう。そして、セックスの話を人前でするのは恥ずかしいという風潮があるのに、夫婦に対して「子供はまだ?」と聞くのはなぜ恥ずかしいことでは無いのだろう。世間の「普通」はなぜ強要されなければいけないのだろう。答えが出ない問いが次々と出てくきました。こだまさんはそれらと正面から向き合い、少しずつ乗り越えていきます。

夫婦で、手探りだけど、自分たちなりの「答え」を見つけていく姿に、あー。かっこいいな。素敵だな。と素直に思えました。一発で正しい道を選ぶことなんてできない。迷いながらも、2人で手探りで探していく。そういうのが理想だなと思います。

 

今でこそ、結婚=出産というイメージはだいぶ無くなってきているけど、夫婦の形も人それぞれだし、子供を産む産まないという選択もそれぞれ。本人たちが考えて悩んでたどりついた答えならそれでもいいと思う。

私と彼氏さんも、結婚するとしても、イコール子供って思考になれないのが今の現実です。私のうつ病のことや、経済的余裕とか、きっといろんなことを考えて、じゃあ、子供はどうする?ってなるし、欲しいって思っても恵まれないことだってあります。なにか、壁にぶつかる度に、2人で話し合っていくんだと思います。

 

「普通」じゃなくていい。「私たちらしく」でいい。こだまさんにそう言われている気がします。一生一緒にいたい。そう思える人が今隣に居てくれるから、この本がこんなにも私に響いたのかもしれません。素敵な作品に出会えてよかった。

 

 

長い文章を読んでいただきありがとうございます!

「夫のちんぽが入らない」を読んでの感想。私の文章ではごちゃごちゃして魅力が伝わらなかったと思います。しかし、この作品は本当に素敵な作品です。

色んな人に読んでもらいたいと思います。